2021.05.10

美について

宝厳院
3月の終わりころ、緊急事態宣言が解除されるや「そうだ 京都、行こう」のキャンペーンコピーに乗っかりました。コロナの手前もあり、交通手段はキャンペーン主体のJR東海ではなく車です。 嵐山付近に宿をとり数多ある庭園を見て回ります。

翌朝、最初に訪れたのは東本願寺の庭園「渉成園」。世界一の木造建築と言われる東本願寺からは少し離れたところに位置する、石山大山作の池泉回遊式庭園。桜が陽光を浴びて美しく花開いていました。

バスで銀閣寺へ。足利義政の手になる東山文化発祥の地。ワビ、サビの世界に浸れます。銀閣を出ると哲学の道に繋がります。川を挟んで両側に果てしなく桜の並木。慈照寺(銀閣の正式名称)には桜の木がないので、桜を見に来た人はこの道で満面の笑みを浮かべています。

南禅寺から蹴上へ。ここは京都からの物資を滋賀に運ぶ際ここの傾斜を利用する目的で線路がしかれています。線路の両脇には桜。着物を着た若い男女が線路の上を歩いていました。
後で宿の人に聞いたところ、卒行旅行で京都に来た若者が着物をレンタルして桜見物を楽しんでいるとのこと。地下鉄で三条京阪に向かい鴨川沿いの店で夕食。この日は13km以上の距離を歩いていました。

翌日、嵐山近くの天竜寺に向かうも、期間限定の特別参観が目に入り、まずはこちらへ。
「宝厳院」この庭園は嵐山を取り入れた借景回遊式庭園。中国に二度渡った禅僧によって作庭されたものだそうです。実に見応えのある庭園でした。

次に「天竜寺」へ。本日桜満開とあり、いつもより早いとのこと。庭園は大きな池を囲み、山に向かって参拝コースが巡らされています。夢窓国師は天竜寺を作る費用を捻出する為、元との貿易を足利尊氏に進言し、これが効を奏して国師の門流は隆盛、天竜寺は京都五山第一の寺格を誇りました。

日本庭園が好きなのは単に美しいからだけではありません。青空に向かって幹や枝を伸ばす木々、苔むす大地、池や石の配置、そして何よりも山々を借景とした佇まい。これらが一体となって美しさに深みを与えています。造形が奥深さを感じさせるのは庭園を創作した人の精神や魂でしょうか。あるいは四季を繰り返す中で、世の転変をじっと受け止めてきた何年にも亘る歴史の重みなのでしょうか。

世の中に美は至る所にあり、人の目を楽しませる存在であることは間違いありません。しかし目ばかりでなく心まで深くしみ入る美しさはまれ。今回、運良く見ることの出来た桜の美しさもほんの一瞬のことで、実に儚い夢の如しを実感します。

自然は常に移り変わって刻々と表情を変えます。「深み」というのは時間と空間に育てられた自然の中からこそ生まれ出るものなのかもしれません。
フラグラ―は生まれも学歴も恵まれたとは言えない境遇から自力で道を切り開き、マイアミとパームビーチの父と呼ばれるほどの貢献をし、財を築いた。それを可能ならしめた道筋はどのようなものであったのだろうか。

ニューヨーク生まれ。8年間地元の学校に通った後、穀物、醸造会社で働き始め22歳でその会社のパートナーとなる。30代初め塩の事業会社を始め、最初の数年は利益を出すも塩のマーケット崩壊により倒産。その後再び働いた穀物会社で37歳の時John D Rockefellerに出会う。ロックフェラーとパートナーシップを組み事業拡大、やがて同社はStandard Oil Corporationとなり一時石油精製の90%以上を握る巨大企業となった。フラグラ―はstandard oilの取締役として留まる一方、旅行で訪れたフロリダに大きな可能性を見出しホテル建設と鉄道敷設事業に資金を投じて更なる開発を進めた(60代前半から始め82歳でkey westまでの鉄道建設完了)

フラグラ―とはどのような人物であったのか、公表されている内容主なものは以下がある。
・もって生まれた特性:ビジネスの才とハードワークを厭わぬ気質
・会社倒産で得た教訓:「しっかりとした事業調査をせずして投資すべからず。」
・オイルの事業化を進めたロックフェラーのフラグラ―評:フラグラ―の貢献なくして現在のstandard oilなし。
・なぜフロリダだったのか:自ら旅行して温暖な気候と魅力的な風土は人々のニーズを満たすに違いないと確信。
・J.P. MorganパートナーのGeorge Perkinsのフラグラ―評:砂としげみの荒野に可能性を見出し、そこに鉄道を通すという天才的先見性は他に類を見ない。

standard oil程の巨大企業の共同創始者ともなれば、その地位と名誉、財力に充分満足して人生を終えるのが普通であろうと思う。60歳を超えてあえて全くの荒野であったフロリダ南部に鉄道を敷き数々のホテルを作るという動機は何だったのだろうか。フラグラ―の生涯を改めて辿るとその理由がおぼろげながら浮かび上がる。自らが先頭に立ち、可能性を秘めながらも人の手のついていないblue oceanを事業として成り立たせるという飽くなきチャレンジ精神、その長い道のりの先に大富豪という結果があった、ということではなかろうか。