2020.08.07

幸せの測り方

ヒト同士の接触を避けるためソーシャル・ディスタンスが世界の常識となっています。挨拶のプロトコールとしての握手、ハグやキスですらその代わりに肘と肘を合わせるという味気ないものに変わってしまいました。ヒトの幸せホルモンであるオキシトシンは手を握ったり抱擁しあったりすることで分泌されるものとされています。ソーシャル・ディスタンスによりオキシトシンの分泌は抑制され、世界の人々の幸せは少なからず奪われているものと思われます。


幸せは「快」の程度によって左右されるともいえます。「快」を司るのは脳から分泌されるドーパミンとかエンドルフィンと言われておりこの脳内物質が受容体に受け止められたときに人は快感を覚えるようにできているようです。


何によって「快」を感じるかはヒトによって個体差がありますが、精神的な充足や達成感、他人からの認知やふれ合いなどでもこの脳内物質は分泌されます。様々な社会的刺激を「快」と認識して分泌量が決まってゆくとすれば、社会性が制限されるソーシャル・ディスタンスは快感も制限しているということになるでしょう。


一方、出社しなくても仕事は出来るということが判明したため、ワーケーション(バケーションを楽しみながら仕事もするというスタイル)を実行する人々もでてきています。気持ちのよい環境で気持ちよく効率的に仕事が出来るということになれば、脳内には喜び物質が溢れ出てくるという効能もあることでしょう。しかしどのように評価されるか不安、などマイナスの側面もあるようです。


ヒトは幸せを感じていると免疫機能が高まり病気にもかかりにくくなり、逆にストレスが溜まると免疫機能が低下します。ソーシャル・ディススタンスや自粛は短期的には命を守るかもしれませんが、長期的には健康を阻害する要素のほうが大きそうです


コロナの影響でヒトの幸せがどのくらい減っているのかを測定することが出来るかもしれません。オキシトシンとドーパミン、エンドルフィンの総量を測定して(そんなことができるのかどうかわかりませんが)ソーシャル・ディスタンスの程度や頻度によってそれらがどのように変化するか関係づけてみるのです。人類の幸せの為に何かをする、とかいうと気恥ずかしくなりますが、科学的データでそれが可能ならやってみる価値はあるのではないでしょうか。


以前、幸福をGDPで語るのはもうやめようという提案がありました。では何で測るのかについては語られていなかったように思います。幸か不幸かコロナのおかげでそういう測定も不可能ではない環境が出来てしまったので、我こそはと思わん方はやってみてはいかがでしょうか。ことは人類全体の幸せにつながることなのでもしかするとノーベル賞も夢ではないかもしれませんよ。
2020.06.07

自由と自粛

人は生まれながらにして自由で、その果実を享受する権利を有しています。自分のしたことに責任を負いさえすれば、何をやろうと人からとやかく言われることはありません。好き勝手なことをして痛い目あうのも自由、自分で責任をとればよいだけです。一つだけ制限があり、それは「人に迷惑をかけてはならない」ということ。我々はずっとそういう世界で生きてきました。そして今後もその世界は続いてゆくだろうと思っていました。


いきなり降って湧いたコロナという感染症が、自由を奪ってゆきました。多くの国でロックダウンにより移動の自由が奪われ、我が国でも自粛という名のもとに行動や活動に大幅な制約がかかりました。法的な強制力はなくとも自粛に従ったのは感染を恐れたからのみならず「人に迷惑をかけるかもしれない」ということを恐れたからなのでしょう。自分に症状がなくとも他人に感染させてしまうかもしれない、そして最悪人の命を奪うかもしれないというウイルスを前にして、人々は自粛を受け入れたのだと思います。


未だにしっくりこないのは「人への迷惑」というのがコロナ感染による、という一点に偏り過ぎていたのではないかと感じられるからです。我々は自由主義経済の下で生活しています。企業が活動できなくなれば従業員、顧客、社会に対して大きな迷惑をかけることになります。その重さと重大さはコロナ災害以上のものではないと言い切れるのでしょうか。他人の自由に制限をかけるには相応の覚悟と慎重さが要求されるはずです。国や自治体が国民の活動や事業に制限を加えるなら当事者にとっては極めて大きな迷惑となり得ます。


自粛に伴う損害が補償されたとしても、完全に収束するまでの全額の補償など財政的にも不可能です。また今や再び起きるかもしれない感染拡大への懸念も生まれておりいつまで自粛を続ければよいのか、答えはありません。


我が国の感染者や死亡者の数は欧米諸国と比べて幸いにも2桁少ない状況にあります。それでもコロナ感染はより重大なリスクとして経済も移動も大幅な制限をかけてきました。
憲法の規定では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」となっています。


今回の対応は“公共の福祉に反しない限り”という観点から比較したとき緊急事態宣言のタイミング、外出自粛や休業要請は正しかったのか、自粛期間は妥当だったのか、公平性は担保されたのか等、今後のためにも検証されるべき課題だと思います。
基本的人権たる自由の制限を最小にする努力を疎かにすべきではありません。
2020.05.10

チャンスがピンチに変わる時

経済活動が殆ど停止してしまった世界で、人々の生活や命をつなぎとめる役割を各国政府が一身に担っています。そのために支出されている財政支出額はすでに異常な額に達しています。感染者、死亡者の一番多い米国の財政赤字額は4兆ドル規模と見込まれ、前年(2019会計年度9840憶ドル)に比べて4倍もの水準です。

急激な財政支出は政府債務残高を押し上げており、債務残高のGDP比は米国131%(第二次世界大戦直後の119%をすでに超過)日本の同数値は250%を突破の見通し(2020.4.19日経新聞)、ユーロ圏の数値は111%(前年85%)と大幅膨張の見通し(2020.5.1日経新聞)となっています。

財政が持続可能となる条件は、債務残高のGDP比が発散しないことというのがファイナンスの常識です。ロックダウンや自粛が長引くほど政府は失業や休業の支出が増え、分子の債務残高は膨張します。一方、分母のGDPは経済活動の停滞により大幅縮小が不可避。結果は財政持続可能性に大きな疑問符がつくということです。

経済の回復遅れは、国の破綻につながりかねず時間との勝負の様相を呈しています。欧米諸国が感染再拡大のリスクを抱えながらもロックダウン解除、経済活動再開を許可したのは感染状況の見極めによるものばかりではないと思われます。

財政状況の悪化は長期金利上昇、中央銀行によるマネーサプライの供給は通貨安のリスクを伴っています。新興国(東南アジアや南米など)元々債務を多く抱えていましたが、コロナ対策のための財政出動、財政悪化が加わって通貨安が加速しています。通貨安は輸入物価上昇によりインフレを引き起こし財政悪化の悪循環に見舞われることになります。

産油国もオイルに対する需要急減などにより原油価格が下落、高い価格に支えられて好調だった経済が暗転、財政悪化により投資マネーの引き上げも視野に入ってきているものと思われます。

過去に起きてきた様々な問題は、単独で時間差をもってふりかかるのが普通でした。今回これらのリスクが一挙に同時に至る所で発生しています。どこで問題が起きても不思議はなく、連鎖的に発生する恐れも高まっています。

感染に関しては世界各国で制限が緩められ明るさも見え始めています。株価も驚くほどの下げを記録した3月から順調に回復しているように見えます。これはチャンス到来なのでしょうか。

今後の世界は、応急処置によって持ちこたえてきた施策の限界が見え始める局面に入ってゆくはずです。上記をはじめとして様々な所に埋まっている地雷(経済リスク)には十分すぎるほどの注意が必要となるでしょう。長期に亘る自粛を保ちながら以前のような実体経済に戻す(V字回復)のは言われているほどたやすいことではないと思われます。
2020.04.10

色即是空の世界

コロナウイルスの感染者と死亡者の人数報告が日常となっています。日々増加する感染者。世界中の国々が今はとにかく感染を抑えようと、自宅に留まり外出を控えることを徹底しようとしています。今のところそれしか人の命を守る方法がないということでの外出自粛ということです。


これで事態が収束に向かってくれればやれやれ、ということになるのでしょうが長期化する可能性も否定できません。その場合クローズアップされるのが経済的な問題、収入の減少や失業者の爆発、企業倒産、さらには国家財政の破綻などです。長期に亘って経済が止まることは実体経済の崩壊を意味します。


1929年、米国の株価大暴落に端を発した大恐慌では経済の縮小により各国の失業率は20%以上へと転落し、貧困や病、更には自殺などにより多くの人の命が失われました。今回の問題はウイルスの拡大によりヒトの動きが止まったことによるもので、それが全世界で起きているので影響は大恐慌以上になる可能性も否定できません。(短期に収束できない場合)


「ヒトの命を守る」ことが最重要であるのは当然のことですが、命のはかなさは病だけに起因するわけではありません。経済の激しい落ち込みによって尊い命が失われるという現実は過去に何度も発生してきました。日本の失われた20年では自殺者の数が異常な数に膨れ上がったのは記憶に新しいところです。


今はとにかく感染拡大を防ぐことが先決ということで、人の移動や接触を伴う経済活動は自粛すべしということになっています。しかし感染は1~2カ月で消えてなくなるのでしょうか。収束が思うように進まなかった場合医療と経済活動のせめぎ遭いはより激しく厳しいものとなることが予想されます。感染拡大防止と経済活動制限の折り合いをどこでつけるのか。日本が直面しているのは感染阻止の問題だけではないはずです。都市封鎖まで踏み込んだ諸外国の経済縮小、それを織り込んだ自粛と活動の線引き判断ではないでしょうか。


仏教哲学の核となる言葉に「色即是空」があります。この世の物や現象(色)は時々刻々と変化しており、恒常不変の実体は存在しない(空)ということのようです。世界の情勢に目を向けた時この言葉の意味するところが正に発現しているような気がします。我々が日頃存在しているのが当然と思っていた様々な財やサービスなどの経済実体が一挙に消えてしまいました。この言葉と対をなす「空即是色」の世界に一刻も早く戻ることを願わずにいられません。
2019.07.24

2000万円不足?

金融庁・金融審議会の報告書が、平均的高齢夫婦世帯では、年金だけでは2000万円不足と指摘したことがクローズアップされ社会問題化しました。同報告書によると「老後の生活設計を考えたことがある」人は全体の67.8%、30代以上で軒並み50%以上、その理由としては「老後の生活が不安だから」であり「お金」が主要要因になっていることが窺える、とされています。


人間は過去を懐かしんだり悔んだりしながら現在を生きていますが、将来がはっきりと見えている人は一人もいません。不安というのは何がおきるか判らないがゆえに生じる妄想の産物です。但しこれまで生きてきた経験から現在の延長線上に起きるであろうことを思い浮かべるので、単なる妄想よりは実現性は高いのでしょう。


不安の源は2000万という数字ではなく、酷い目に合うことなく人間らしく生を全うしたいというささやかな望みに対する懐疑にあるのではないでしょうか。将来そのような境遇に合わない為に必要なのはカネだけではないでしょうが、あれば少しは安心できるだろうからということで目安として提示したところ、逆に不安を煽る結果となってしまったということかもしれません。


年金だけでは足りないのは皆分かっているでしょう。その不足を長期の投資で補ったらどうか、というのも間違ってはいないと思います。ただ政策担当者たる国家が、個人だけに責任転嫁するというのはいかがなものでしょうか。


政治の第一義的使命は何でしょうか。小手先の制度改定によりパッチワークを続けることなどでは決してありません。国を豊かにして生活のレベルをかさ上げすることにあるのではないでしょうか。「失われた20年」のような状況に陥らないようにすること、不幸にも陥ってしまったなら早急にそこから脱出させることです。世界を見渡しても今後世の中が良くなっていくとは考えにくい状況にあります。どのような舵取りをすればこの目的を達することができるのか、与党のみならず野党も第一義的使命を全うする決意と覚悟が望まれます。


国民は報告書の提案のように投資のための金融知識を身につけていくべきでしょう。一方、国の経済を継続的成長に導ける能力のある政治家を見極め、選ぶことも同じくらい重要な一歩であると思います。20年後の将来、GDPが右肩上がりを続け2000万円問題は過去の笑い話であったという報告書が提出されることを期待しています。
2019.06.28

ベトナム ダナン旅行記



3月中旬、ダナンへ行った。南北に細長いベトナムの中ほどに位置する場所で、ベトナム戦争の頃米軍の駐屯地のあったところ。長いビーチに面したリゾートで、寒い日本から飛んでくると頬も緩む。

ビーチから道路を渡った道沿いにはレストランが多い。レストラン前には水が張ってあるたらいがいくつもあり、その中に生きた魚や貝、エビ、ロブスターまで。ここで好きなものを指さすと新鮮なまま調理されて出てくる。

ビーチサイドには軽食も採れるバーがある。陽が傾きかける頃、バーの椅子に腰かけて海を見ながら酒を飲む人多数。これは贅沢、お気に入りの場所となった。




ダナンはこのビーチを売りものとしており、すでにホテルは山ほどあるが、なんせビーチは長いので新しいホテルがどんどん出来ている。

ダナンを南に30Km行ったところにある町ホイアン。街全体が世界文化遺産に指定されている。

16世紀末以降、国際貿易港として繁栄。ベトナム政府も観光スポットとして力を入れている場所だからか各ホテルからは無料のシャトルバスがでている。夕暮れ時ホイアンの街は提灯の光に照らされ、中国人街を中心に古い歴史的建造物とそこで買い物や飲食を楽しむ人々で賑わう。




ダナンの北100Km、ベトナム最後の王朝本拠地跡フエ。中国支配から独立、13代続いたが1883年フランスにより占領された。その後べトナム戦争時にはこのあたりが最大の激戦地となる。

門をくぐって正面の建物は68年のテト攻勢で完全に崩壊、王宮の80%が焼失。TVカメラが初めて戦地に入って世界中に放映されたのでフエの名前は一躍有名になった。




欧、米等の列強のエゴに翻弄され、歴史の荒波にもまれ続けたベトナム。しかし現在進行中の米中貿易戦争はベトナム発展のチャンスにつながる可能性が高いとみなされ始めている。

中国企業はベトナムで生産して、ベトナムから輸出することで米国の制裁関税を免れ得る。また、これまで中国を製造拠点としてきた国々も米中貿易戦争の影響を避けるべく製造拠点をベトナムに移しつつある。中国にある米国企業も生産拠点をベトナムに移しているようだ。

ベトナムは棚ぼたの利益を生産と輸出の両面から得られることになりそうである。今度こそ「苦あれば楽あり」ということになってほしい。
2019.04.04

優秀な血統のうそ

一昔前と比較すると、個人の満足度は格段に上昇しているのではないでしょうか。モノやサービスにコストがかからなくなってきたからです。必要なサービスのみにカネを払えばよいので、個人が保有しておかねばならない金銭は少なくて済みます。コストがかからないのに、提供されるモノやサービスの質はどんどん良くなっているのを実感します。

例えば情報。座ったままでkey wordを入れれば良いだけです。Googleなどがなかった頃には本屋や図書館を巡り歩いてようやくたどり着けるのは求めていた情報の一部に過ぎない、というのが普通でした。SNSがなかった頃、人と人のつながりは長い付き合いでもない限り限定的かつ浅薄なものに過ぎなかったのです。

音楽や動画、写真なども、驚くほど多様な選択肢の中から自分の好みの1つをたちどころに廉価で入手できるようになっており、医療分野においても多数の患者の画像データを蓄積、分析することでより正確な病名や治療法が見出されてゆくのでしょう。健康や長寿も夢物語の話ではなくなっています。満足度と幸福感がパラレルな関係にあるなら、人々は昔よりずっと幸せになっているのではないでしょうか。

事実を裏付ける真実の特定精度も向上してゆくことでしょう。
データ・サイエンティストと言われる人々は事実と相関性の高いデータを見つけ出すことを仕事としています。例えば優勝する確率が高い競馬馬はどのような特性をもっているのか、一般的には勝率は血統だと考えられており、馬主は血統の良い馬を高いコストをかけて入手しています。

ところが、あるサイエンティストは本当の特性を見事に言い当てることが出来ました。競馬馬が優勝できるか否かは左心室の大きさによると見抜いたのです。(「誰もが嘘をついている」Everybody liesより)今後、人類も世界も加速度的に進歩してゆくと思われますが、何がこうした満足感や進歩を支えるのでしょうか。

ゼロに近い値段でサービスを提供したり、真実にせまったり、を可能にしているのはデータです。企業は膨大なデータを収集、加工、提供して効果の高いソリューション(広告など)を提供し、そこから得た収入でサービスの利用料金を低下させるという循環を繰り返します。最近は「データの価値」にスポットライトがあたっており、世界に溢れるデータを集めることがこうしたビジネスを可能ならしめているのは事実でしょう。


ただ、既に長い月日が流れ今や当たり前の感覚になっていますが、データがその価値を実現させることができたのはアナログをデジタルに変える技術があったからです。血統が優れていてもタフな心臓がなければ勝負に勝てないという事実を見逃してはなりません。ビッグデータを形にしているタフな心臓。それはデジタル化技術ではないでしょうか。
2019.02.17

損をするのが好きな人

日本人は投資より貯蓄を選ぶ人が多いのですがなぜでしょうか。以下のような理由が考えられます。勤勉が美徳という昔からの教育の結果、「濡れ手に粟」のような利益を追求する投資はけしからんという倫理観に基づくもの、投資はリスクがあるので例え利息が微々たるものであっても損失の発生しない貯蓄のほうが安心であるという心理的安定志向によるもの、投資は難しくうまくいくかどうかわからないのに長い時間をかけて学ぶというのが面倒という時間対効果を重視した効率面からのもの等です。

日本と米国を比較した場合、この投資と貯蓄の割合が著しく異なることは毎年公表されている資金循環統計の比較により明らかです。家計金融資産に占める貯蓄の割合は、米国13%に対して、日本52.5%、株、投信等投資割合は米国48%に対して日本14.9%となっています。(2018.3末 資金循環統計)

いつまでたっても貯蓄偏重の傾向から抜け出せないことに問題意識を持った政府はNISAなど新制度を導入して貯蓄から投資への流れを作ろうとしました。NISAとは一定額の投資から生じる利益に対して通常ならかかる税金を0にするというものです。

問題は利益に税金がかからないようにすれば人々は貯蓄より投資を選択するようになるのか、ということです。利益がでても20%近い税金がかからないのはありがたいことではありますが、投資は利益がでることもあれば、損がでることもあります。一般的に人々が投資に向かわないのは「損をするのが嫌だから」という気持ちによるところが大きいのではないでしょうか。

利益に税金がかからないと言われて、それでは投資してみようと思う人がどのくらいいるのか、よくわかりません。特に貯蓄から投資への流れを作るという趣旨から考えると、初めて投資を考えている人の背中を押すには損が出ても一定の救済措置がある方が有効だと思われます。

具体的には給与収入から投資損失を一定額控除出来るという税制を導入するというのはどうでしょう。現在の証券税制において、損失が控除できるのは有価証券の利益との間のみとなっています。投資損失が出ても収入からも損失を控除できるならリスクはとりやすいと思われます。

損をするのが好きな人は日本にも米国にもいないはずです。ただ、有価証券からの損益通算に加えて、他の収入からも一定額損失控除できるという税制を導入している米国で、貯蓄より投資を選択する人が多いというのは自然なこと。貯蓄と投資の割合に差がでるのは国民性というよりも税制の違いにあり、ということかもしれません。
2018.12.04

行列の出来る店@ワイキキ

ハワイのオアフ島、アラモアナ公園から西に向かって大規模な開発が進んでいます。ワードという新たに開発の進んでいる地区には、新しいコンドミニアム、whole foods(Amazonが買収したスーパーマーケット、品揃え豊富で新鮮な素材を扱っていることで有名)ショッピングゾーン等が広がっており、昔は倉庫地帯であったこの場所がオシャレな一帯に変身を遂げつつあります。

この開発はさらに西に延びており、何年か先(2025予定のようです)にはカポレイ(真珠湾西側)を起点として、空港を通りハワイ最大の人気商業施設「アラモアナショッピングセンター」まで電車が通るそうです。アメリカはハワイに限らず車社会が常識で、そもそも電車が通ることが珍しいので、これは画期的なプロジェクト。電車はワイキキ地域には乗り入れないので、ワイキキのホテルに宿泊する観光客はアラモアナで下車してタクシーかバスに乗り換えるということになると思われます。

ワイキキエリアでいつ行っても行列が出来ている店があります。1つはカラカウア通りに面したEggs’ Things。卵を使った朝食と、ホイップクリームとナッツが贅沢に乗っているパンケーキがウリの店。価格は$10~$13とお手頃で、大きく開いた窓からはワイキキビーチが目の前というロケーション。同じ食事をするなら景色の良いところを選びたい、ということで並んででも待つということなのでしょう。ホイップクリームの盛りっぷりも人気の秘密と思いました。

もう1つは道路を一本内陸に入ったクヒオ通り沿いにある丸亀製麺。ハワイにうどんはミスマッチな感じがするので、何故こんなに人気があるのか正直、理解に苦しんだ挙句メニューを見てみました。うどん、てんぷらなど日本よりも値段は高めですが、物価の高いハワイにあってこの値段は価格破壊の域にあり、出来たものを自分でテーブルに持っていくセルフ方式なのでチップも不要。 日本の料理は高いのが常識となっているのでこの値段はウケるのでしょう。開店時間も7:00~22:00と、いつ行っても並びさえすれば食べられるので時間を気にする必要もありません。

番外編は、Ruth’s Chris Steak House.ワイキキ・ビーチ・ウオークの2階。17:00開店ですがその前から店の前には行列が出来ています。ステーキハウスなので値は張りますが実に美味。米国農務省認定の最高級熟成牛肉を980°で焼き上げた肉が供されます。店の説明によれば、この店はもとニューオーリンズに住むルースさんが自分のレシピによるステーキハウスを開設するにあたり、自宅を抵当に入れて開始し、同地で営業したところ高い評判を得て、全米各地に展開するに至ったとのことです。

どの店も国籍や人種に関係なく行列ができる店ということになりますが、いくつか共通項があるように思います。一言で言うと4つのPがターゲットとする顧客の基準にマッチしているということです。(マーケティング戦略4つのP:price/place/product/promotion)
どの一つが欠けても行列はできないか、長くは続かないということになるのだと思われます。
2018.10.09

ボケ知らずの歩き方

高齢化とともに、認知症のリスクがますますクローズアップされるようになってきました。
人間だれしも、ただ長生きすることだけを望んでいるわけではなく、健康で生き生きと人生を楽しめてこその長寿と思っているはずです。


最近テレビでは健康番組がやたら目につきます。認知症に限らず、それぞれ専門分野の医師が出演して懇切丁寧な予防法や原因説明をしてくれるのでつい観てしまうという方も多いのではないでしょうか。日本が世界の中でも長寿国家である理由の一端を間違いなく担っていると思います。


病気になる人が増えると医療費が社会保障費を押し上げ財政を圧迫するので、健康なお年寄りが増えることは日本にとっても良いことです。娯楽として見ることが、個人にとっても国家にとっても直接的な利益をもたらす番組を惜しげもなく放送している国は多くはないと思われます。


ただ、番組の数に比例して扱う病気の種類や病気にならない為の対処法等が増加の一途をたどっているため、健康オタクのようにならないとも限りません。また、長寿は年金の支払い増加という財政負担が発生することも事実ではあります。


政府は首相を議長とする「未来投資会議」で雇用年齢を65歳以上に伸ばす、70歳を超えて公的年金の受給を開始できる制度改正等を検討してゆくようです。年金をもらってのんびり余生を送るという希望を胸に頑張ってきた方々には、いささか肩身の狭い社会になってゆくかもしれません。


先日偶然に見たテレビで、あることをすると認知症の発生率が1/7になったというのがありました。認知症は全身の血流が悪くなって、これにつれて頭の血流も悪くなることが原因の一つとなるとのこと。その為にやるべきは、一日5,000歩歩くことだそうです。
ワタシも徘徊と間違われないようにしながら、歩く時間をのばしてみようかなと思ったのでした。