2020.06.07

自由と自粛

人は生まれながらにして自由で、その果実を享受する権利を有しています。自分のしたことに責任を負いさえすれば、何をやろうと人からとやかく言われることはありません。好き勝手なことをして痛い目あうのも自由、自分で責任をとればよいだけです。一つだけ制限があり、それは「人に迷惑をかけてはならない」ということ。我々はずっとそういう世界で生きてきました。そして今後もその世界は続いてゆくだろうと思っていました。


いきなり降って湧いたコロナという感染症が、自由を奪ってゆきました。多くの国でロックダウンにより移動の自由が奪われ、我が国でも自粛という名のもとに行動や活動に大幅な制約がかかりました。法的な強制力はなくとも自粛に従ったのは感染を恐れたからのみならず「人に迷惑をかけるかもしれない」ということを恐れたからなのでしょう。自分に症状がなくとも他人に感染させてしまうかもしれない、そして最悪人の命を奪うかもしれないというウイルスを前にして、人々は自粛を受け入れたのだと思います。


未だにしっくりこないのは「人への迷惑」というのがコロナ感染による、という一点に偏り過ぎていたのではないかと感じられるからです。我々は自由主義経済の下で生活しています。企業が活動できなくなれば従業員、顧客、社会に対して大きな迷惑をかけることになります。その重さと重大さはコロナ災害以上のものではないと言い切れるのでしょうか。他人の自由に制限をかけるには相応の覚悟と慎重さが要求されるはずです。国や自治体が国民の活動や事業に制限を加えるなら当事者にとっては極めて大きな迷惑となり得ます。


自粛に伴う損害が補償されたとしても、完全に収束するまでの全額の補償など財政的にも不可能です。また今や再び起きるかもしれない感染拡大への懸念も生まれておりいつまで自粛を続ければよいのか、答えはありません。


我が国の感染者や死亡者の数は欧米諸国と比べて幸いにも2桁少ない状況にあります。それでもコロナ感染はより重大なリスクとして経済も移動も大幅な制限をかけてきました。
憲法の規定では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」となっています。


今回の対応は“公共の福祉に反しない限り”という観点から比較したとき緊急事態宣言のタイミング、外出自粛や休業要請は正しかったのか、自粛期間は妥当だったのか、公平性は担保されたのか等、今後のためにも検証されるべき課題だと思います。
基本的人権たる自由の制限を最小にする努力を疎かにすべきではありません。