2019.12.23

大富豪への道

フロリダの東海岸、マイアミから北に向けて海沿いに伸びる道。1A1(Ocean boulevard)と呼ばれ豪奢な景色が果てしなく続いている。左側には白亜の豪邸、右手に大西洋の青い海、風にそよぐパームツリー、これらを覆う青い空。まことにこの世の楽園を思わせる心地よさを感じる。

連なる豪邸は世界中の金持ちがこの立地を好み、競って住居を建設した結果の産物。米国大統領トランプ氏の別邸マーラ.ラゴもこの道沿いに在る。そばを通ると巨大な米国国旗がはためいていた。このあたりはPalm Beachと呼ばれ豊かな人々が多数住んでいるのだが、その中に度肝を抜くような大邸宅がある。部屋数なんと72、敷地面積5600㎡、まるで美術館か博物館のような建築物であるが今や本当に博物館になっている。この住居の元所有者、名前はヘンリー・フラグラ―。フロリダの鉄道王と言われた大富豪である。

フラグラ―は既存の鉄道会社数社 を買収、1892年未開拓であったフロリダ南部に向けSt. Augustineより鉄道建設を進め、1894年Palm Beach,1896年にはMiamiに、1912年にはKey Westまでの建設を完了した。鉄道のみならずホテル事業においても手腕を発揮、その結果多くのアメリカ人が気候の良いフロリダを目的地として訪れ、全米で第三位の経済規模を誇る州となるに至った。フラグラ―博物館の正面彼方にそびえる名門ホテルBreaker’sもフラグラ―の手によるものである。フラグラ―程一つの州の発展に大きなインパクトを与えた個人はいないとされている。写真はフラグラ―と3度目の奥さんの避寒地としてpalm beachに建設された別邸WhitehallとBreaker’s Hotel。
フラグラ―は生まれも学歴も恵まれたとは言えない境遇から自力で道を切り開き、マイアミとパームビーチの父と呼ばれるほどの貢献をし、財を築いた。それを可能ならしめた道筋はどのようなものであったのだろうか。

ニューヨーク生まれ。8年間地元の学校に通った後、穀物、醸造会社で働き始め22歳でその会社のパートナーとなる。30代初め塩の事業会社を始め、最初の数年は利益を出すも塩のマーケット崩壊により倒産。その後再び働いた穀物会社で37歳の時John D Rockefellerに出会う。ロックフェラーとパートナーシップを組み事業拡大、やがて同社はStandard Oil Corporationとなり一時石油精製の90%以上を握る巨大企業となった。フラグラ―はstandard oilの取締役として留まる一方、旅行で訪れたフロリダに大きな可能性を見出しホテル建設と鉄道敷設事業に資金を投じて更なる開発を進めた(60代前半から始め82歳でkey westまでの鉄道建設完了)

フラグラ―とはどのような人物であったのか、公表されている内容主なものは以下がある。
・もって生まれた特性:ビジネスの才とハードワークを厭わぬ気質
・会社倒産で得た教訓:「しっかりとした事業調査をせずして投資すべからず。」
・オイルの事業化を進めたロックフェラーのフラグラ―評:フラグラ―の貢献なくして現在のstandard oilなし。
・なぜフロリダだったのか:自ら旅行して温暖な気候と魅力的な風土は人々のニーズを満たすに違いないと確信。
・J.P. MorganパートナーのGeorge Perkinsのフラグラ―評:砂としげみの荒野に可能性を見出し、そこに鉄道を通すという天才的先見性は他に類を見ない。

standard oil程の巨大企業の共同創始者ともなれば、その地位と名誉、財力に充分満足して人生を終えるのが普通であろうと思う。60歳を超えてあえて全くの荒野であったフロリダ南部に鉄道を敷き数々のホテルを作るという動機は何だったのだろうか。フラグラ―の生涯を改めて辿るとその理由がおぼろげながら浮かび上がる。自らが先頭に立ち、可能性を秘めながらも人の手のついていないblue oceanを事業として成り立たせるという飽くなきチャレンジ精神、その長い道のりの先に大富豪という結果があった、ということではなかろうか。