FIRE VS ディオゲネス
FIRE(Financial Independence RetirementEarly)は人が最終的に到達したいと切望するゴールでしょうか。使い切れないほどの金を持っていれば自由が手に入ると考え、働かなくとも好きなことをして暮らせるだけの金を稼ぐことこそユートピアと思い定め、その手段として投資があると考えるのでしょう。
確かに使い切れないほどの金を持っていれば、殆どの苦労や悩み、不安や心配から解放されるのは確かです。やりたいことは何でもできるし、やりたくないことはやらなくとも何の不都合もない。これが経済的自立(financialindependence)のメリットであり、このような自由を手に入れたいと願うのは人間の本性なのかもしれません。投資でこのような境遇を手に入れられるなら、食うための仕事にはとっととおさらばしてしまいたい(retirement early)と望むのも無理はないことかもしれません。
人は誰でも幸せになりたいと願っているので、金で幸せが手に入るのならその為の投資手法を身に着けようと必死になるのも非難されることではないでしょう。さらにその投資手法が仕事を通して手に入れることが出来るならこれこそFIREの到達点と言えるかもしれません。
一方、FIREとはかなり異なる人生を送った人もいます。古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいました。彼は物質的充足には興味がなく樽の中に暮らしていたそうです。ディオゲネスの名声を聞きつけたアレクサンダー大王がディオゲネスの所に赴き、自分の所で働けば何でも望を叶えてつかわそうと提案しました。ディオゲネスは住処である樽の中から「あんたがそこにいると陽があたらないのでどいてくれ。オレの望みはそれだけだ」と言ったと言われています。
ディオゲネスの目的は真理追究であり、他人から指図を受けることは目的達成の邪魔と考えたのでしょう。ぶれることなく目的を追求するために自由を選択した、ということではないでしょうか。
自由を求めるという共通項はありますが、FIREは自由が目的でありその手段が投資ということになります。どちらが良い、悪いとか高級、低級の比較をしたいわけではありません。問題はその人がどのような生き方をしたいのかにかかっているということ。そして与えられた「時間」を何のために使うのかがその人の価値観に繋がっているということです。
一つ気にかかるのはその価値観が、自分の利益の為だけに向いているのか否かということです。金も領土も能力もすべてを持ってマケドニアに君臨していたアレクサンダー大王は「余がもしアレクサンダーでなかったらディオゲネスでありたかった」と語ったといわれています。さすが大王、器量の大きさを感じずにはいられない逸話であります。
確かに使い切れないほどの金を持っていれば、殆どの苦労や悩み、不安や心配から解放されるのは確かです。やりたいことは何でもできるし、やりたくないことはやらなくとも何の不都合もない。これが経済的自立(financialindependence)のメリットであり、このような自由を手に入れたいと願うのは人間の本性なのかもしれません。投資でこのような境遇を手に入れられるなら、食うための仕事にはとっととおさらばしてしまいたい(retirement early)と望むのも無理はないことかもしれません。
人は誰でも幸せになりたいと願っているので、金で幸せが手に入るのならその為の投資手法を身に着けようと必死になるのも非難されることではないでしょう。さらにその投資手法が仕事を通して手に入れることが出来るならこれこそFIREの到達点と言えるかもしれません。
一方、FIREとはかなり異なる人生を送った人もいます。古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいました。彼は物質的充足には興味がなく樽の中に暮らしていたそうです。ディオゲネスの名声を聞きつけたアレクサンダー大王がディオゲネスの所に赴き、自分の所で働けば何でも望を叶えてつかわそうと提案しました。ディオゲネスは住処である樽の中から「あんたがそこにいると陽があたらないのでどいてくれ。オレの望みはそれだけだ」と言ったと言われています。
ディオゲネスの目的は真理追究であり、他人から指図を受けることは目的達成の邪魔と考えたのでしょう。ぶれることなく目的を追求するために自由を選択した、ということではないでしょうか。
自由を求めるという共通項はありますが、FIREは自由が目的でありその手段が投資ということになります。どちらが良い、悪いとか高級、低級の比較をしたいわけではありません。問題はその人がどのような生き方をしたいのかにかかっているということ。そして与えられた「時間」を何のために使うのかがその人の価値観に繋がっているということです。
一つ気にかかるのはその価値観が、自分の利益の為だけに向いているのか否かということです。金も領土も能力もすべてを持ってマケドニアに君臨していたアレクサンダー大王は「余がもしアレクサンダーでなかったらディオゲネスでありたかった」と語ったといわれています。さすが大王、器量の大きさを感じずにはいられない逸話であります。